Strayが描く世界は我々の未来なのか
ZURKは人間が作り出した有機的な管理システムであるが、それが暴走してロボットに牙を剥くというのは面白い視点だ。ロボットが本来守る対象であるはずの人間に危害を加えるといった話はすでにあるが、ロボットもZURKも人間が作り出した管理システムでありながら、無機的なものと有機的なものとして対立し、我々プレイヤーは無機的なロボットに対して感情移入をする。B-12は下水道で「私達は巨大な生き物の中にいるのでしょうか?」と言う。我々人間も、自然という大きな生命体の中に生きており、未来はZURKとドロイド達、つまり人間が創り出した自然と人間の世界になるということではないだろうか。
ロボットが音楽や絵などの文化を真似するというのも興味深い。本来人間が創り上げた文化も、どこかの誰かを真似て創られたものが形を変えて受け継がれていったものである。アンドロイドが人間を真似るという構造を見て、彼らと同様に人間が人間を真似ているということを再認識すると同時に、その伝播がアンドロイドと人間という垣根を超える可能性も読み取れる。ロボットに芸術はできるのか。彼らの感性にどのような芸術が呼応し、どのような形で伝播し、変容していくのだろうか。
この問いに対して私の考察を述べると、他者性のある芸術は考えられるが、鬱屈とした感情を表現するための芸術というのが存在しうるのかはわからないと考える。人間とロボットが住む世界の中で、音楽を再生するラジカセのようにロボットが音楽を奏でたり、ダンスをして人間を楽しませるという機能は考えられる。むしろ、ロボットがラジカセを持っていることが不自然で、ラジカセの機能は何らかの形でロボットに組み込まれるはずである。それが、ロボット自身が音楽を奏でるということなのではないか。だが、このゲームに出てくるようなスラム街の絵や音楽は、人々の苦しみの中で生まれる。社会に対する反感を持ち、それを昇華する形で芸術を創り出すという高度な機能がロボットに搭載されるのだろうか。
どのような社会になろうと階級が生じ、それが再生産されていくのだろうか。街を守るはずの機能も、権力の腐敗により人々を支配するようになるのは、人間社会の常なのだろうか。未来の社会システムがこういった問題点を解決できず、人間の真似をするロボットが負の側面まで再生産していく可能性も否定はできない。
まとめ
ネコ視点という特徴を活かしたゲーム展開が斬新な、独特なビジュアルとBGMで彩られたサイバーパンクである。短時間でクリアでき、難易度も高くなく、PlayStation Plusの月額サービス対象ということもあって、是非プレイしてみてほしい作品である。
- Stray
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